悲しくても前へ

ありのままに、気ままに。
中学生時代のいじめがきっかけで、拒食症に。
更に、アスペルガー症候群だと判明。
どうにかこうにかして、現在、夢を叶えるため奔走中。
主に、気持ちの変化や、大事な人たちのこと、夢のこと、そして亡くなった親友(動物)について。

大多数と自分

他人と自分は、全く違う。
外見だってそうだし、中身も違う。
好みも嫌いなものも違う。
似てる部分はあるだろうけど、全く同じ人間って、きっといないかもしれない。
知り合いの一卵双生児さんたちでも、自分たちは全く同じような外見をしているけれど、それぞれ違う個性を持っている、とお話ししてくれた。
大多数派や少数派というものはある。
世の中では、大多数=普通、と言われる。
たった自分一人にしか受け入れられない意見や考えもある。
自分以外の全員から、蔑視されるようなこともある。
それはとても悲しいことかもしれない。傷つくし、世界中に批判されたような気分になるかもしれない。
私は、他人と違う考えを持った時、例え自分が貶されても、相手の意見を批判しないようにしている。
どんな意見でも、理解できるように、考える。
大多数と違うからって、恥じることはないと思う。


毎朝のルーティン

6時半に朝起きて、カーテンを開けて、トイレへ行って、リビングに下りて、朝食の前に野菜ジュースと牛乳一杯ずつ飲む。
彼が亡くなってから、そのルーティンが変わった。
カーテンを開けて、部屋を明るくしたら、仏壇代わりにしてる棚で鎮座している彼に、手を合わせること。
毎日の朝で、一番大事な親友とのコミュニケーション。

動物と人間

私は、動物が好きです。
彼らは、私がどんな外見をしていても気にしないし、考えていることがどんなに変わっていても、彼らにはさほど重要ではない。愛したら愛した分だけ、もしくはそれ以上の愛情を返してくれるし、私を仲間だと思ってくれます。
逆に、全人類とまでは言いませんが、人間は苦手です。
それも、自分たちと少し違う外見、思考を持っているだけで、いじめの対象とする人たちです。
人間は皆それぞれ違うし、同じである必要などないのに、強迫的な統一性を強制してくるのが、怖くて堪りません。
まだ短い人生の中でそれを体験したのは、学校です。
特に、中学校が一番酷い時代でした。
あの時期の集団心理というのは、とても凶悪的だと思います。
外見や思考や行動の違いをネチネチ厭らしく突き、集団であることが自尊心を大きくしているように錯覚しているのか、差別や偏見を楽しんでいる様は、醜悪です。
数年後、奴らとは全く違う素敵な人たちと会うまで、人間不信は続きました。
今通っている学校では、いじめこそありませんが、遠巻きにされているのはわかります。
数名の子らが話しかけてくれることもあります。
彼女たちのことは、できるだけ蔑ろにしたくないのですが、どうしても、ズレた言動をしてしまって、空気を悪くしてしまうことがあります。
直そうとして、成功すればいいのですが、失敗したら落ち込んでを繰り返してしまう。
ですが、こんな私でも、必要としてくれる人はいるし、動物たちもいる。
そんな人たちを、大切にして、自分を少しでも肯定出来るように、日々を生きます。